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頑張らないようにしている

 「頑張る」というのは不思議な言葉だといつも思う。時候の挨拶のように「頑張ってね」と人に声をかける様子は毎日のように聞くし、実際に言われるとたった一言の会話なのにどこか元気をもらえた気がして嬉しい言葉のように感じることもある。その一方で、自分にとってやりたくないことを人に頼まれて、渋々了承する時に「頑張ります」と苦し紛れに言わざるを得ないような、とても嫌な言葉に感じることもある。

 つまり、世の中には良い「頑張る」と良くない「頑張る」があると思うのだ。自分が好きで自分から進んで取り組めるような物事に対して頑張るというのは、自分自身を元気にしてくれるものだし、無理のない範囲で生活に取り入れて行った方が人生が豊かで楽しいものになって良いと思う。

 でもそうではなく、自分を消耗してしまうような物事に対して「頑張る」という時のその言葉の裏には、「無理をして」とか「自分の意志に反して」という言葉が隠れている。頑張っている瞬間は一夜漬けみたいな感じでなんとかなるかもしれないけれど、長期間の無茶な行動の後には必ず反動がくるように人間は出来ていて、取り返しのつかないしっぺ返しをくらう事もあったりする。無理の代償として怪我や病気をしてしまい、何年間も人生をふいにせざるを得なくなるなんてことは、この世界で往々にして起こっていることなのだ。

 世の中には頑張ってはいけない性格の人間がいる。真面目な人、責任感の強い人、もしくは自分を犠牲にしてまでも仕事に尽くしてしまうような人は、そういった良くない頑張りをしてしまわないように十分注意していかなければならない。僕自身もそういうタイプだった人間の一人で、過去に辛い状況から逃げ出さずに我慢して頑張りすぎてしまった結果、障害を背負ってしまった。その反省から、今は「頑張ることを手放す」ことを実践していて、自分が楽しく感じられる範囲で仕事をしたり生活を送ったりするようになってから、割と人生がうまく行くようになった。

 現代のビジネスの根底には、とにかく仕事を詰め込んだり、無駄な時間を削ったりして、生産性を高めよう、みたいな言説が蔓延しているんだけど、そういった考えは今の僕にはとてもマッチョな思想に感じられて辛いので、影響を受けないようできるだけ距離を取るようにしている。

 次の図は、1日の仕事の中での生産性を考える上でとても参考になるものだ。

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lifehack - [翻訳]プログラマの生産性の壊し方 - Qiita

 「ギーク」とはコンピューターに精通している人たちの俗称なんだけど、ギークに限らず人間は本来、生理的には上の図の青い線のように調子の波があるものだと思う。人間は機械ではない。全ての時間帯で人間は生産性を100%まで上げられる、というのは単なる幻想でしかなくて、その生き方を目指してしまうと不幸な結末が待っている。

 「プログラマの三大美徳」と呼ばれる有名な言葉があって、人間の7つの罪とされるうちの怠惰、短気、傲慢がプログラマにとっては美徳だとされている。可能な限り頑張らずに物事を達成したり問題を解決できてしまう方が素晴らしいとされる価値観が、プログラマにとってはとても大切なものなのだ。

 それでも無理をして頑張らないとレベルアップできないし世界では通用しない、みたいな意見もあると思うんだけど、その考えが絶対正しいかというと必ずしもそうではないみたいだ。さまざまな分野の一線で活躍している人たちのインタビューを聞いてみると、凄まじい努力の結果高みまで登りつめたという人がいる一方で、ただずっと楽しくてやってるうちにいつの間にか一流と呼ばれるところまで来ていた、という人もいることがわかってきた。

草彅: よく人って夢のためにがんばるっていうじゃないですか。

タモリ: 夢があるようじゃ、人間終わりだね。

草彅: 僕もそれどうなのって思うんですよ。夢って何なの?って。思いません? それを美徳としてる感じがあるじゃないですか。「夢に向かってがんばろうぜ!」みたいな。じゃあ、夢が叶っちゃったらどうするの?って話で。

能町: 今まで夢とかなかったですか?

草彅: だから、夢ってわからないんですよね。小さい時からこの仕事をしているんで、ある意味早く叶ってしまったっていうのもあると思うんですよ。でも夢のためにがんばって目標立てて、毎日それだけのために生きていくって……。

タモリ: そう。夢が達成される前の区間はまったく意味がない、つまんない世界になる。これが向上心のある人の生き方なんだよね。悲劇的な生き方。夢が達成されなかったらどうなるんだ?ってことだよね。U-zhaanさんとかこう(タブラを)やるのは、夢じゃないんだよ。やってるだけの話だよね。好きでやっててこうなってるだけの話で。

U-zhaan: いつかどうなりたいと思ってやってたことはあんまりないですね。

タモリ: うん。好きでこれ面白いなってやってる人がみんなこういう風になってるんだよ。そういう人たちが夢を持ってやってたかっていうと、そうじゃないよね。それがジャズか、ジャズじゃないかの差。

宮沢: 今を濃厚に生きるかってことですか?

タモリ: そう。

 タモリにとって「ジャズな人」とは何か---70歳の『タモリ学』 - てれびのスキマ

 もしあなたが長い間良くない頑張りを強いられていて辛い状況が続いているのなら、それはきっとあなたが悪いんじゃなくて、身を置いている環境やシステムの設計が良くないんじゃないだろうか。そういった状況はずっと持ちこたえることは出来なくて、遅かれ早かれ瓦解してしまうのだろう。そうなってしまう前に、余裕のある仕組みに作り変えてしまうか、もしくはその環境から諦めて身を引くことが大切なのだと思う。

うまく喋れなくたって生きていける

anond.hatelabo.jp

 パーティー会場などのざわざわした空間の中から自分が話したい相手の声だけうまく抽出して聞ける人間の能力をカクテルパーティー効果というんだけど、このカクテルパーティー効果がうまく働かなくて相手の声が聞き取れない人が世の中にいる。それはいわゆる発達障害の人に多くて、僕自身も発達障害の特性が少しある人間なので、飲み会の会場とかでは人の話は9割以上聞き取れなくて一人寂しい思いをすることがよくある。

 しかも、ざわざわした環境でなかったとしても、3人以上いると会話の流れが上手く頭で追うことができずに喋ることができない。それどころか最近は性格がどんどん自閉的になっているので、例え2人でいたとしても話しかけることも年々難しくなっている。要するに、全然喋ることができない人間なのだ。

 コミュニケーションや会話に関する本は常にベストセラーで、上手く会話を続けることができないと人間関係が悪くなってしまう、もしくは仕事が回らなくなってしまうという先入観に囚われている人は世の中に結構多いんじゃないだろうか。僕も昔はそういう脅迫めいたものに常に苛まれていた一人だった。そんなんじゃ社会でやっていけないぞとか言われて心無い人から責められ続けたこともあった。この性格を直さなければ、とか思うんだけどいくら努力しても一向に喋ることができなくて何年も悩んでいた。

 でも、人と会ったら全員が同じぐらい話したり聞いたりしなければならない、という思い込みはもしかしたら嘘なんじゃないだろうか、といつからか思うようになった。実際僕は全然喋れないのに、たまに連絡を取っては一緒にお茶を飲みながら、僕の100倍ぐらいは喋って、また話そうねとか言って楽しそうに別れるみたいな交流をもう10年以上も続けている友人が何人もいる。とにかく喋りたまくりたいという相手の需要と、とにかく話を聞いていればいいという僕の供給が一致して、その結果コミュニケーションが成立してしまうのだ。そんな人達の前では普段の僕の喋れないなんて悩みはバカバカしく思えてくるし、上手く喋れなくてよかったなんて思うようにすらなったのだ。

 この歳になってわかったのは、大人になったら人間の性格は、人を傷つけるようなひどいものでさえなければ、欠点なんてものは本当は存在しなくて、結局は全部人との相性の問題で済んでしまうのではないかということだ。万物には全て陰と陽の性質があって、陽には陰が必要だし陰には陽が必要だというのと同じように、自分の持つ性格を必要としてくれる人は必ず世界のどこかに居るのだ。出会う人全員に自分を好きになってもらうのは絶対に不可能だけれども、人生なんて自分を好ましく思ってくれる人を大切にして生きていけたらそれで良いんじゃないだろうか。

「心は熱く、理論はクールに」

 最近の週末はちょっと活動的になってきて、バンドで演奏を楽しむことが多くなってきた。楽器演奏は子供の頃からやっていて、ピアノ、ホルン、クラリネットと転々と渡り歩いてきたんだけど、どれもしっくりこなくてつまらなくて辞めてしまったんだけど、大学に入ったときにボンゴやコンガといったラテン系の打楽器が演奏できるサークルに出会って、感情のおもむくままにバシバシと叩けるのがなんだかとても面白くて、それ以来10年ぐらい打楽器を続けている。打楽器に巡り合うまでに時間はだいぶかかったけど、最終的に自分に適性のあった楽器に出会えて本当によかった。
 それでも大学を卒業してからは仕事も忙しくなって、しばらく演奏する機会もなく友達に会うことさえも少なくなってしまったんだけど、ひきこもってた頃に大学時代の先輩から「カウベルを叩いてバンドを助けてくれないか」というなんとも不思議な依頼の連絡がきて、それがきっかけとなってバンド活動を再び続けることができるようになったのだ。
 音楽でもスポーツでもプログラミングでもなんでも良いんだけど、友達と定期的に集まるときは何か一緒に作るものがあった方がいい。何か一緒に活動することがないと、人はすぐに疎遠になってしまうからだ。たまに思い出した頃に集まって飲み会だけして帰る間柄よりも、頻繁に集まって創作活動をしている仲間の方がとても強い結びつきがある。そんな感じで僕も音楽に救われているところが大きい。

 

 Cuba Libre Laboというバンドにこの4月から正規メンバーとして加入することになった。Cuba Libre Laboは結成から10年近く経つ老舗のラテンビッグバンドで、仙台や浜松、池袋などのストリートジャズフェスティバルを中心に出演している。このバンドのいいところは、メンバーのラテン音楽の知識量が豊富なので、ラテン特有のコール&レスポンスがとても心地よくバシッと決まるところだ。
 この動画は去年エキストラメンバーとして乗せてもらった時のもので、画面中央前列左のカラーレンズをかけているのが僕だ。ボンゴという楽器は普通はひざに挟んで演奏する楽器なんだけど、このライブの直前にアメリカから輸入して取り寄せたボンゴ用のスタンドを導入してみたところ、自分の出したい音が出せてとても演奏しやすかったのでびっくりした。打楽器歴10年目でなんだかいきなり飛躍的に上達した気がして、ツールの選択は本当に大事だなと思う。


『CubanoChant』Cubalibrelabo_JOZENJI STREETJAZZ FESTIVAL in SENDAI2016

 

 もう一つバンドをやっていて、Project D.D.T.というラテンビッグバンドにも加入している。主に長野県の斑尾高原でのジャズフェスティバルに出演しているバンドで、前述のバンドと大きく違うのは、ラテン音楽を演奏するんだけれどもメンバーがほとんど4ビートジャズバンドの出身者で構成されているところだ。ラテン音楽の知識をあえて取り入れていないので、ラテンというよりもロックやフュージョンのような火の玉的な演奏になることが多く、それでいてメンバーの力量も高いのでサラダボウル的なバンドでとてもカッコよくて面白い。同じラテンバンドなんだけどCuba Libre Laboとは全く違う演奏の楽しみ方ができて、お得感がある。
 この動画は2年前の動画で、後半に僕がボンゴでソロを取っている場面があります。


P7258165 MadaraoJAZZ2015-K-Off@"J"7.25

 

 こういった感じで他の人たちのバンドに乗せてもらうことが多いんだけど、大学の卒業直前に一回だけ自分がリーダーをやってみたビッグバンドがあった。学生時代に乗っていた別のバンドが2011年3月13日にかなり気合いを込めたライブをやる予定だったんだけど、震災の混乱でライブが出来なくなってしまい、ライブがやりたかった気持ちが宙に浮いてしまった。すっかり意気消沈してしまい別の日にライブをやり直そうかという動きもなくて、何か違う形でそのもやもやした気持ちを昇華出来ないかとずっと考えていて、震災から半年後の学園祭で自分でバンドを立ち上げてみよう、ということになったのがその経緯だった。
 当時の僕は演奏が上手いバンドというのがなぜだかあまり好きじゃなくて、学生時代にプロのライブはほとんど聴きに行った記憶がない。「心は熱く、理論はクールに」という言葉が好きで、音が割れていても音程が無茶苦茶でもいいから、アマチュア特有の気持ちが入った、もしくは気持ちが入りすぎた音がとにかく聴きたくて、そういう音を出してくれる人達が集まったバンドを作ろうと思ったのだ。
 たった1回きり、30分のライブをやって終わったバンドだったんだけど、6年経った今でも感想を言ってもらえることがあって嬉しく思っている。僕自身も当時の録音を聴き直して元気をもらうことがある。無茶なバンドに乗ってくださった当時のメンバーの皆さん、ライブを聞いてくださった皆さん、ありがとうございます。
 2011年当時はライブの録画をネットにアップロードする風習というのがあまりなかったので、メンバーが個人的に録音を持っていただけだったのですが、それでは何かもったいないと思ったので今回YouTubeにアップロードしてみました。もし良かったら聴いてみてください。


msms bigband Live At Cafe Losguara 2011/10/23