うまく喋れなくたって生きていける

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 パーティー会場などのざわざわした空間の中から自分が話したい相手の声だけうまく抽出して聞ける人間の能力をカクテルパーティー効果というんだけど、このカクテルパーティー効果がうまく働かなくて相手の声が聞き取れない人が世の中にいる。それはいわゆる発達障害の人に多くて、僕自身も発達障害の特性が少しある人間なので、飲み会の会場とかでは人の話は9割以上聞き取れなくて一人寂しい思いをすることがよくある。

 しかも、ざわざわした環境でなかったとしても、3人以上いると会話の流れが上手く頭で追うことができずに喋ることができない。それどころか最近は性格がどんどん自閉的になっているので、例え2人でいたとしても話しかけることも年々難しくなっている。要するに、全然喋ることができない人間なのだ。

 コミュニケーションや会話に関する本は常にベストセラーで、上手く会話を続けることができないと人間関係が悪くなってしまう、もしくは仕事が回らなくなってしまうという先入観に囚われている人は世の中に結構多いんじゃないだろうか。僕も昔はそういう脅迫めいたものに常に苛まれていた一人だった。そんなんじゃ社会でやっていけないぞとか言われて心無い人から責められ続けたこともあった。この性格を直さなければ、とか思うんだけどいくら努力しても一向に喋ることができなくて何年も悩んでいた。

 でも、人と会ったら全員が同じぐらい話したり聞いたりしなければならない、という思い込みはもしかしたら嘘なんじゃないだろうか、といつからか思うようになった。実際僕は全然喋れないのに、たまに連絡を取っては一緒にお茶を飲みながら、僕の100倍ぐらいは喋って、また話そうねとか言って楽しそうに別れるみたいな交流をもう10年以上も続けている友人が何人もいる。とにかく喋りたまくりたいという相手の需要と、とにかく話を聞いていればいいという僕の供給が一致して、その結果コミュニケーションが成立してしまうのだ。そんな人達の前では普段の僕の喋れないなんて悩みはバカバカしく思えてくるし、上手く喋れなくてよかったなんて思うようにすらなったのだ。

 この歳になってわかったのは、大人になったら人間の性格は、人を傷つけるようなひどいものでさえなければ、欠点なんてものは本当は存在しなくて、結局は全部人との相性の問題で済んでしまうのではないかということだ。万物には全て陰と陽の性質があって、陽には陰が必要だし陰には陽が必要だというのと同じように、自分の持つ性格を必要としてくれる人は必ず世界のどこかに居るのだ。出会う人全員に自分を好きになってもらうのは絶対に不可能だけれども、人生なんて自分を好ましく思ってくれる人を大切にして生きていけたらそれで良いんじゃないだろうか。