祝いのカンパナ

msms blog & diary

日記 2018/2/12

正しさ

 『君は正しい事しか言わないね』、何人かの人にそう言われた事があるんだけど、その度に、はあ、そうなのかなあ、とか思いながら特に返答もせず次の話題に移る。

 でも考え直してみると正しいってなんだ?論理的に正しいってこと?それとも倫理的に正しい?よくよく考えるとよくわからなくなってきた。

 もしかして言葉選びが上手いって事か?と思ってこの間 Twitter で「僕の書いたり話したりする文章はどうですか?」というアンケートをしてみた。 5 人から回答があって、

  • 上手い: 2 人
  • 別に上手くない: 1 人
  • どちらとも言えない: 1 人
  • 面白い: 1 人

という結果だった。バラけ具合から言って、どうやら文章が上手いとかそういう事では無さそうだ。

 場の空気を読まずに正しい事をズカズカ言ってしまうって事だろうか?これはどうだろう。自分の中に「これは言ってはいけない」の線引きは一応きっちり持っている。僕が何か言葉を発した事で場の空気も淀んだ匂いも特に感じられない。ただチャットだと結構自分の意見はハッキリ言うタイプではあるので、グレーゾーンではある気がする。人に聞いてみた訳じゃないけど。

 

 いろいろ考えてみた結果、口数の総量に対して、意味というか意義が存在する事を話す割合が人よりたぶん多いのかな、とは思った。僕は意味を持たない事を滅多に口にしない。「今日は寒いですね」とか「最近どう?」とか、コミュニケーション本でよく「毛づくろい」と表現されるタイプの、特にそれ自体に意味を持たない発言はしない。それに世間的には日常会話の内容は意味を持たないものがほとんどとされているので、大抵の人から見たら僕は無口な人、というように写るのだろう。

 僕は自分が話す言葉の中に論理性を持たせたい気質がある。持たせたいどころか、可能な限り論理的に正しい事を凝縮させて言葉を厳選する作業を頭の中で常に行なっている節がある。そうした作業はかなり難しいので、会話のレスポンスが世間の人より何秒か何十秒か遅い。その何秒か何十秒かの思考時間の間に、周りの人たちの会話はどんどん進んでしまう。

 稀に会話の途中で何秒かの間が生まれた時に、僕がその凝縮された言葉を発する事が出来る場合があって、そういう事の積み重ねが冒頭の『君は正しい事しか言わないね』という印象に繋がるのかもしれない。